時間がもったいないと考えると、何も出来ない
例えば、CDを聴く。
CDの枚数が増えれば増えるほど、これだけのCDを全部何回も
聴くことは到底できない。
と、考えてしまうと、なんか、じっくりとCDを聴きこんだり、
いろいろ聴いたりというのが、時間がおしく感じたりします。
また、本も、もしかして、この本棚にある本は、今後、一生の間に
目を通すことはないかもしれないと考えると、気力がなえます。
でも、実際には、時間がたっぷりありますし、すべてを楽しんだり、
把握したり、暗記したり、そんなことができなくてもいいのです。
所有しているということは、いつでも好きにできるということで、
その好きにできるということの中に、何もしないということも
含まれているのだろうと思います。
沢山持っているものを、一生退屈しないで済む。
と、考えることができたら、それだけで幸せになれるかもしれません。
とにかく、一度に聴けるCDは、一枚。
一度に読める本は、一冊。
目の前のことに集中しないと、それこそ、何も出来なくなってしまいます。
多読をする目的は、読まなくてもよい本を選別するためだ。
というのも、どこかで聞いたような気がします。
CDの枚数が増えれば増えるほど、これだけのCDを全部何回も
聴くことは到底できない。
と、考えてしまうと、なんか、じっくりとCDを聴きこんだり、
いろいろ聴いたりというのが、時間がおしく感じたりします。
また、本も、もしかして、この本棚にある本は、今後、一生の間に
目を通すことはないかもしれないと考えると、気力がなえます。
でも、実際には、時間がたっぷりありますし、すべてを楽しんだり、
把握したり、暗記したり、そんなことができなくてもいいのです。
所有しているということは、いつでも好きにできるということで、
その好きにできるということの中に、何もしないということも
含まれているのだろうと思います。
沢山持っているものを、一生退屈しないで済む。
と、考えることができたら、それだけで幸せになれるかもしれません。
とにかく、一度に聴けるCDは、一枚。
一度に読める本は、一冊。
目の前のことに集中しないと、それこそ、何も出来なくなってしまいます。
多読をする目的は、読まなくてもよい本を選別するためだ。
というのも、どこかで聞いたような気がします。